| ?サツマイモ |

サツマイモの花 |
| 分類 |
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| 学名 |
| Ipomoea batatas L. |
| 和名 |
| サツマイモ/カンショ |
| 英名 |
| sweet potato |
サツマイモ(薩摩芋、または甘藷:かんしょ、学名: Ipomoea batatas L.)は、ヒルガオ科サツマイモ属の植物。あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根)。別名に、甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも、とういも)、琉球藷(りゅうきゅういも)。仲間に、アサガオやヨウサイ(アサガオ菜)がある。
概要
花はピンク色でアサガオに似るが、短日性であることから本州ではあまり開花しない(九州や沖縄では開花する)。このため、種子を効率よく取るためにはアサガオに接木して短日処理する必要がある。
中米原産とされる作物で、これを主食とする地域もある。また、若い葉と茎は一部地域で野菜として食用にされる。
もともとは南アメリカ大陸、ペルー熱帯地方から東南アジアに導入され、そこから中国を経て沖縄、九州、本州と伝わった外来植物で、日本から対馬を経て朝鮮半島へも伝わる。
このため中国(唐)から伝来した沖縄や九州では唐芋(奄美諸島では例外的に薩摩芋)、沖縄(琉球)から伝来した北部九州では琉球藷、九州から伝来した本州では薩摩芋と呼ぶ。
英語のスイートポテト (sweet potato) でも知られるが、日本では単にスイートポテトと言うとサツマイモ料理の一つを指すことも多い。北米では「ヤム」 (yam) とも呼ばれるが、これは、黒人奴隷が、故郷のアフリカで栽培されていたヤムイモと同じ名で呼んだからである。
一部の種類はイポメアの名で観賞用に栽培される(「イポメア」はサツマイモ属そのものを指すので、本来は不正確である)。この種類からもイモは取れるが、鑑賞目的で選抜されたためにイモの味は食用のものには劣る。
栽培
栽培法
サツマイモは繁殖能力が大変高いうえに、痩せた土地でも育つため素人でも比較的育てやすく、江戸時代以降飢饉対策として広く栽培されている。茎葉を土に挿し、不定根を発生させて繁殖、栽培する方法が一般的である(種から発芽させる方法もあるが、アサガオのようにつるを伸ばして生長するためイモはあまり取れない)。
春に苗を植え付け、晩夏から秋にかけて収穫する(暖地の場合)。また、肥料を与えすぎると、葉や茎が栄養を吸いすぎて育ちすぎる。そのため、根があまり成長せず、収穫が少なくなることもある。苗が植物ウィルスに感染すると収量低下を起こすため、ウィルスフリー苗が利用される事もある。
品種
別名・地方名
琉球いも、りゅうきいも、からいも(唐芋)と呼ぶ地域もある。沖縄ではウム、ンム、伝来当時は蕃薯(はんす)。対馬地方では孝行芋とも呼ばれる。 和食においては、丸十と呼ばれる。これは、薩摩藩島津氏の家紋が丸に十字であることが由来と言われる。
産地
世界
世界食料機構が発表した統計資料(FAO Production Yearbook 2002)によると、2002年の全世界における生産量は1億3600万トンであり、主食となるイモ類ではジャガイモ(同3億700万トン)に次ぐ。生産地域は中国に極端に集中しており(ジャガイモの生産量も中国が首位にある)、その大部分は酒類等への加工用である。日本の生産量は103万トン(世界シェア0.8%)であり、順位では8位である。
- 中国 1億1500万トン(84.0%)
- ウガンダ 250万トン(1.8%)
- ナイジェリア 250万トン(1.8%)
- インドネシア 175万トン(1.3%)
- ベトナム 173万トン(1.3%)
日本
- 日本における主産地
鹿児島県、茨城県、千葉県、宮崎県、徳島県が全国のトップ5県。この5県で全国の8割、とりわけ鹿児島県は全国の4割を産する(2005年産農林水産省作物統計)。同県ではでんぷん原料用としての作付けも多い。
- ブランド産地
日本列島におけるサツマイモの歴史
- 伝来史
- 1604年、琉球王国(現在の沖縄県)に伝わる。野國総管(明への進貢船の事務職長)が明(今日の中国福建省付近とされる)からの帰途、苗を鉢植えにして北谷間切野国村(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町)に持ち帰り、儀間村の地頭・儀間真常が総管から苗を分けてもらい栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まった。野國総管は芋大王(うむふうすう)と称えられるが、サツマイモを持ち帰ったこと以外は、よく知られていない。
- 後に麻平衡・儀間親方真常によって琉球全域に広められ、王国民を飢餓から救ったと伝えられている。
- 1609年、薩摩(現在の鹿児島県)藩主・島津家久は、江戸幕府の許可を得て琉球を攻め、幕府による鎖国が続く中、琉球からの年貢および明、清との交易を通じて、異国の文物、情報を得ることになる。
- その後尚寧王より薩摩へ、また1698年には尚貞王より種子島へ送られ、種子島久基の命により種子島での栽培が始まった。なお、三浦按針が1615年平戸(長崎県)に持ち帰り九州で栽培が始まった。
- 1705年(1709年とするものもあり)、薩摩山川の前田利右衛門は、船乗りとして琉球を訪れ、甘藷を持ち帰り、近隣に広めて「カライモ」と呼び、やがて薩摩藩全域で栽培されるようになった。利右衛門は民間人として初めてサツマイモの栽培を広めたとされ、「甘藷翁」として地元であがめられ、サツマイモの神様として祭られている。
- 1732年の享保の大飢饉により西日本が大凶作に見舞われ深刻な食料不足に陥る中、今日の長崎県と鹿児島県では餓死者を出さなかったといわれ、サツマイモの有用性を天下に知らしめることとなった。八代将軍・徳川吉宗はサツマイモの栽培を関東に広めようと決意する。そして起用されたのが、青木昆陽であった。当時、彼は儒学者としての才能は評価されていたが、その才能を買っていた八丁堀の与力加藤枝直が、町奉行・大岡越前守忠相に推挙、昆陽は、同じ伊藤東涯門下の先輩である松岡成章の著書『番藷録』や中国の文献を参考にして、サツマイモの効用を説いた「蕃藷考」を著し、吉宗に献上した。
- 1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ、「薩摩芋」を江戸小石川植物園、下総の幕張村(現千葉市花見川区)、上総の九十九里浜の不動堂村(現九十九里町)において試験栽培し、1735年栽培を確認。これ以後、サツマイモが関東一円に広がるきっかけをつくった。その後、サツマイモは東日本にも広く普及するようになる。
- 幕末から明治期には川越の赤沢仁兵衛が実験・研究しまとめた「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が劇的に増加する。
このように、サツマイモは飢饉時に多くの人を飢えから救ってきた。
- 1898年、埼玉県木崎村の主婦山田いちが、従来のサツマイモより遥かに甘い突然変異種・紅赤を偶然発見する。サツマイモの位置づけが、飢饉食から美味しいおやつへと変わる第一歩である[要出典]。
- 各地にサツマイモの伝来の逸話がある。→ 愛媛県大三島では1711年にサツマイモを伝えその後の飢饉を救った下見吉十郎を顕彰した「いも地蔵」など。
- サツマイモは栽培しやすいことから、太平洋戦争後の食糧難の時期にも、国民の食を支えてきた。しかしながら、食糧事情が良くなるに従って、次第に果樹等に置き換わり、サツマイモはあまり顧みられなくなった。一方、品種改良によって甘みを増した事から、むしろ飢饉食・主食の代替というより、おやつ、お菓子の原料とみなされるようになった。
- 近年、健康食品や、いも焼酎の原料として注目されている。
- (出典:さつまいも通信さつまいも通信 参考文献:薩摩藩「三国名勝図絵」ほか)
食
栄養価
でんぷんが豊富。またビタミンCや食物繊維を多く含み、便秘やダイエットに効き目があるとして、人気がある。加熱してもビタミンCが壊れにくい特長がある。
調理法
60℃程度で長時間加熱すると、デンプンを糖化する酵素が働いて甘味が増す。石焼き芋やふかし芋はこの性質により甘味を最大限引き出す調理法である。また天ぷら、スイートポテトや大学イモ、キントン、スナック菓子、干し芋などに加工されることが多い。生のまま日光に晒しておくことにより、より甘味度が増す。灰汁が多いので、切ったらすぐに水に晒す。
若い茎と葉も煮れば食用となり、煮物や甘露煮などにして食べる事もある。沖縄県では「カンダバー」と呼ばれ味噌汁の具などに用いられるほか、朝鮮半島ではナムルの材料とする。
原料・飼料としての利用
デンプン
- サツマイモからはデンプンがとれ、主に春雨の原料となる。
砂糖
- 原料としてサツマイモを用いた砂糖は甘薯糖と呼ばれる。
焼酎
- 焼酎の原料にもなる(芋焼酎)。コガネセンガン(黄金千貫)が有名だが、ジョイホワイトや紅芋など多様な品種が用いられる。2000年代には焼酎ブームによりサツマイモ不足に陥った。また、中小建設業者が多角化の一環としてコガネセンガンの栽培に取り組む例もみられる。
飼料
- 黒豚のえさ
- 「かごしま黒豚」の定義では、肥育後期に飼料含量あたり20%のサツマイモを与える事が義務付けられている。サツマイモは豚肉の甘みなどの質の向上に影響し、かごしま黒豚のうま味とやわらかさはサツマイモが原因と、科学的に証明されている。[要出典]
文化
- 石焼き芋
- 石焼き芋の屋台は秋から冬にかけての風物詩。「いしやきぃいも~」という特徴のある呼び声や、地域によってはピヨーーーーという独特の笛の音を響かせて町を巡る。この笛は芋を焼く窯に取り付けられており、排気ガスの圧力で鳴る仕組みになっている。
- 甘古呂餅(かんころ餅)
- 甘古呂餅は長崎特産の甘藷(サツマイモ)を薄く輪切りにし、湯がいて天日で干し上げもち米と蒸して搗き合わせ、お餅に仕上げたもの。かつてもち米の貴重だった時代にその量を増やすために作られ、冬の間の貴重な保存食でもあった。長崎の崎戸・大島、五島などの島々では今でも各家庭の伝統として伝わっている。
- くりよりうまい
- 往時、「クリのような味」を「九里に近い」とかけて、「八里半」という名も生まれていた。この呼び名は今日でも、やや転訛したハッチャンという形で長崎県諫早地方に伝わっている。なお、隣接する島原半島内ではハチリ(八里)の呼称が一般的である。
- その後、焼き芋の行商等によって「九里(栗)より(四里)美味い十三里」(9+4=13)という売り言葉も派生した。これは、サツマイモの産地として知られた武蔵国川越(現在の埼玉県川越市)が、江戸から川越街道で十三里半の距離にあったことに由来すると言われており、「九里(栗)より(四里)美味い十三里半」という言い回しもある(ただし、この由来には諸説がある)。
- 同様に、愛媛県の佐田岬半島地域でも、佐田岬半島の長さが約13里であることから、かつては(昭和の初期頃)「栗よりうまい十三里」と言われてきた。なお、同半島は火山灰地の混じる土壌でサツマイモの産地でもある。
- いずれにせよ、かつて「栗に近い」と言われていたサツマイモが「栗より美味い」と言われるようになったのは、明治以降の品種改良によるものである。
- 芋掘り
- 秋、サツマイモの「芋掘り」を観光農園などで体験することができる。サツマイモは収穫しやすく、探り掘りの楽しみもあるうえ、掘った後の調理も比較的簡単であるので、学校行事等で芋掘りを行うことも多い。幼稚園・保育所などでは、秋の行事として定着しているところも少なくない。収穫したイモを園庭で焼き芋にして食べる園もある。
- 芋堀をテーマとする本
- いもづる式
- 犯罪捜査で一人の容疑者に捜査が及んだのをきっかけに次々と関連する容疑者に捜査が及ぶこと、科学で一つの事実が明らかになったのをきっかけに次々と関連する事実が明らかになることなど、一つのものを端緒にして関連のものに次々にたやすく手が及ぶことを言う。芋が地下茎によってつながっており、一つの芋を掘り出せば残りの芋もつる(地下茎)を頼りにたやすく見つけることができる様子から来た言葉である。
- ただし、サツマイモの芋は地下茎ではなく塊根である。塊根のもととなる不定根は地表を這っている茎の葉の付け根から出ている。よってサツマイモを探すのに地下茎をたどる必要はなく、正確にはつるは地上か地表近くにある。地下茎が膨らんで食用の芋となる植物としてはジャガイモが代表的。
- イモ蛸南京 - 女性の好物とされるもの
関連項目
外部リンク
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