|
Article on other languages:
|
サメ(鮫)は、軟骨魚綱板鰓亜綱に属する魚類のうち、鰓裂が体の側面に開くものの総称。鰓裂が下面に開くエイとは区別される。世界中に約500 種が存在する。世界中の海洋に広く分布し、一部は淡水域にも進出する。また、深海性のサメも知られている。 体の大きさは種によって異なり、最大のジンベエザメ(体長14 m)から最小のツラナガコビトザメ(体長22 cm)までさまざまであるが、平均的には1 ~3 m のものが多い。サメを意味する言葉として、他にワニ(鰐)やフカ(鱶)が使われることもある(詳細は下記の、#神話におけるサメを参照)。
概要一般に、サメは獰猛で危険な生物というイメージが定着しているが、人に危害を加えるおそれのある種は20~30程度とされ、サメ類全体の1割にも満たない。残りの9割以上は、よほど怒らせたりしない限り人には無害である。本来サメは海中で人と遭うと、餌でないと分かって去ってしまう。サメが人を噛むのも、ほとんどが人側に責任があると言って良い(例えば、魚突きで出る血でサメを誘う、サメを怒らせる、サメに餌付けする、など)。サメにとって人間は餌でない。確かにホホジロザメなどに代表されるような鋭い歯と力強いあごを持つ種は危険であるが、その多くは外洋性で人との接触の機会はあまりない。まれに海水浴場など人のいる沿岸域にそのようなサメが現れると、安全の為そこは遊泳禁止になったり、サメよけネットが張られるなどの対策が講じられる。 サメの起源は約4億年前の古生代デボン紀に遡る。最初のサメは浅い海で進化したといわれているが、初期のサメは淡水に適応していたという説もある。古生代後期の石炭紀なると、様々なグループが現れた。古生代に現れたサメの多くは、石炭紀から二畳紀にかけて絶滅し、現代のサメの原型は中生代に現れたといわれる。サメは出現したときにはすでに現在とほぼ同じような姿をしており、以来あまり大きく変化していない。そのため、サメは生きた化石と言えるかもしれない。エイ類は、ジュラ紀にサメの一部が派生し進化したと考えられている。そのため、サカタザメのようにエイ類とほとんど区別がつかないような種も存在する。現代型のサメの多くは白亜紀に原型が出来上がり、新生代に現代型のサメが、世界中の海に放散して種類を増やし、特にメジロザメ類が繁栄したと考えられている。サメは多様な環境に適応したために、その生態は非常に多岐にわたる。サメ類の性質については軟骨魚類の項目も参照のこと。 海中における捕食と繁殖に特化した生物と言え、4億年前から現在に至るまでほとんど形態に変化がないのは、すでにこの形態が捕食・繁殖に最も適合した究極の進化形態であるからとする見方もある。 尚、同様に数億年間そのままの形態でいる生き物にゴキブリやワニがいる。 「サメ」の語源は諸説あるが、その体のわりに目が小さい事から、小さい目→小目→サメとされる説がよく知られている。また、同様の理由で、狭い目(狭い眼)→狭目(狭眼)→サメという説もある。 特徴形態
生殖
食性
分類と代表的な種現生のサメ類は9目に分類され、上位分類として2上目を設ける。Nelson (2006) の分類によれば、現生サメ類は全てサメ亜区 Selachii の中に含まれる。板鰓亜綱における、化石種も含めた分類の全体的な概観を以下に示す。
以下、目のリスト。 ネコザメ目 Heterodontiformes1科1属 - ネコザメ目
テンジクザメ目 Orectolobiformes7科14属 - テンジクザメ目
ネズミザメ目 Lamniformes7科10属 - ネズミザメ目
メジロザメ目 Carcharhiniformes8科49属 - メジロザメ目
カグラザメ目 Hexanchiformes2科4属 - カグラザメ目
キクザメ目 Echinorhiniformes1科1属 - キクザメ目
ツノザメ目 Squaliformes6科24属 - ツノザメ目
カスザメ目 Squatiniformes1科1属 - カスザメ目
ノコギリザメ目 Pristiophoriformes1科2属 - ノコギリザメ目
食材としてのサメサメは食材としても用いられ、身肉は擂り潰してかまぼこやはんぺんなどの魚肉練り製品に加工されることが多い。サメの肉は低カロリー、低脂質、高タンパク質、骨は全て軟骨質なので子供から老人までが食べられる食材として注目を浴びている[要出典]。サメは体液の浸透圧調節に尿素を用いており、その身体組織には尿素が蓄積されている。そのため、鮮度が落ちるとアンモニアを生じてしまい、一般の魚のような料理には向かない。ただし、アンモニアがあるために腐敗が遅く、冷蔵技術が進む前の山間部では海の幸として珍重されていた場合もある。幼魚は蓄積された尿素の量が少ないため意外と美味である。 古代の日本では三河国から平城京へサメを送った木簡が出土しており、愛知県知多郡南知多町の北地古墳群や篠島の貝塚などからサメ漁に用いられたと考えられる釣り針やサメの歯などが出土[3]している。『ものと人間の文化史35 鮫』(矢野憲一著、法政大学出版局発行)によれば『延喜式』にサメを食材とした記述があり、斎宮寮に鮫の楚割 (さめのすわやり、干物と考えられている)が支給された記録がある[4]という。この鮫の楚割が伊勢神宮の神饌として供えられる干鮫であり、後述する三重県のサメのタレと同じものという話があるが、市販されるサメのタレの大部分は20世紀に改良された加工法で作られているのでまったく同じものではない。『ものと人間の文化史35 鮫』によれば、伊勢土産としてのサメのタレは、安永2年の『宮川夜話草』に記され、サメを神饌とする神社は伊勢神宮のほかに千葉県香取市の香取神宮や愛知県津島市の津島神社があるという。 近年の日本では、マグロなどの延縄漁の外道として水揚げされるサメを有効に利用するため、後述する中華料理のフカヒレに加工し、国内消費のほかに主に中国に輸出することが多くなった。中国の経済発展に伴い出荷量が増え、これに合わせフカヒレの材料となるサメの水揚げが増えたため、近海物の減少など資源の枯渇が懸念されている。 広島県のわに料理広島県三次市などの備北地域(山間部)では昔から腐りにくい海の魚としてサメを用いた(ワニ料理)が好まれている(但し、「ワニ料理」には幼魚も成魚も関係なく、根強い人気がある)。 この外にも、日本各地では、古くから天日干しなどで保存食としサメが用いられているが、現在では漁獲技術が向上しており、鮮度が良いまま市場に出回ったり、漁獲後急速冷凍され市場に出回る。 三重県のサメ消費三重県の伊勢市[5]と鳥羽市沿岸部全域[6]ではサメのタレ(「さめんたれ」とも)と呼ぶサメの干物を食べる風習がある。鳥羽市では主にハモやタイの延縄漁の外道として水揚されたサメから生産され消費もされるが、伊勢市では消費のみで、サメの水揚量が多い勝浦漁港などの和歌山県[7]や気仙沼漁港のある宮城県[8]で水揚あるいは加工された干物が流通している。三重県以外の生産地ではサメのタレと呼ばず、さめしお・さめみりんなどと呼ぶことが多い。原料が外道であることもあり、加工するサメの種類は特に問わず、ホシザメ、シュモクザメ、トラザメ、ネコザメなど様々である[9]。 サメのタレは塩味のものと大正時代に考案されたというみりん味の2つに大別される。いずれも基本的に短冊状にサメの身を薄く切り出す。小魚と違い、魚の形をとどめない。直火で軽くこげる程度にあぶって食べることが多いが、ほかにも様々な利用法がある。 伊勢神宮の神饌を下げたあとに食べた(直会参照)ことによりサメの干物を食べる風習が残ったとする説があるが、この説では神宮神職と縁のない庶民や、鳥羽市全域に残ったことを説明できない。 サメのタレ以外では、鳥羽市では鮮度の高いサメを3枚におろし刺身で食べるが、タイに似た味がするという[10]。志摩市志摩町ではサメをなますにして食べるさめなます(「さめのなます」とも)という郷土料理があるが、ネコザメに限るという。[11] フカの湯引き九州や愛媛、または山陰地方の一部ではぶつ切りまたは切り身にしたサメを湯引いて酢味噌などに付けて食べるところもある。主にアンモニア臭の少ないシロザメやネコザメを用い、漁獲量の多い地方(下関など)のスーパーマーケットなどで手ごろな価格で求めることが出来る。長崎県では「ノーソ」、山陰では「ワニ」などの俗称を用いることが多い。湯引きにするとサメのアンモニア臭が緩和され、白く淡白な肉になる。 フカヒレ中華料理におけるフカヒレは鱶(サメ)のヒレを乾燥させたものである。フカヒレの総称を中国では魚翅(ユイツー)とも呼ぶ。その種類は大きく以下の2つに分けられる。
コラーゲンが豊富で美容に良いと女性に人気である一方、水銀やその他の重金属が含まれていることがあり、特に妊婦への危険性があることはあまり知られていない。サメは食物連鎖のトップにいるため、小魚を大量に食べ重金属の蓄積量が多い。また、特にフカヒレは前処理として乾燥させるため、重量あたりの水銀濃度が高くなってしまうためである[12]。 特にメチル水銀により汚染されたフカヒレを食べ続けることにより水俣病などの発症の可能性があり、実際に報告例もあるが、この危険性は感受性の高い胎児に対しては特に高くなる。一方で一般成人に対しては危険性は比較的低い[13]。水銀による汚染レベルにもよるが、ただちに症状として現ることは少なく、様々な精密な検査ではじめて検出されるものであり、通常の社会生活を送る上で支障をきたすようなものではない。本来、魚介類等は一般に人の健康に有益であり、魚介類等の摂食の減少につながらないように正確な情報を理解しなければならない。 材料としてのサメ
神話におけるサメ鰐(ワニ)や、鱶(フカ)という呼称も古くから使われており、日本の古典では『古事記』や『風土記』にも「ワニ」として登場する(現在でも、出雲弁ではサメのことをワニと言う)。 『古事記』では、大国主の因幡の白兎の伝説に登場する。また、のちに山幸彦こと火遠理命が娶った海神の娘、豊玉毘売(トヨタマビメ)も、出産の際に八尋和邇(ヤヒロワニ)の姿と化していた。 このほか、志摩市磯部町には、鮫は『龍宮の使い』であり、川を遡り、7匹の鮫が伊雑宮に参拝するという伝承がある。 また、出雲国風土記の安来郷のくだりには、語臣猪麻呂(かたりのおみゐまろ)の娘が岬に遊んでいた折、和爾(ワニ)が現れて食い殺されたという記事がある。そのことを知った父猪麻呂は激しく嘆き悲しんでいたが、ある日、思い立って矢や鋒を鋭く研ぎ澄まして天神地祇に祈ったところ、百余匹の和爾が一匹の和爾を囲み猪麻呂のところに連れてきた。そこで猪麻呂はその真ん中にいる一匹の和爾めがけて鋒で刺し殺した。殺した和爾を捌くと、体内から娘の脛が出てきたので、仇討ちとしてその和爾を道端に串刺しにして晒したという。 このように、日本神話においてサメは縁深い存在であった。 琉球の神話や伝承では、サメは海神の使いであるとされ、神聖な生き物とされていた。人間に襲い掛かり喰らうと云う獰猛なイメージよりも、溺れた人間を救ったり、神の意思に背き悪事を働いた者を喰い殺すと云う伝承が多く、海の平穏を守る番人の様なイメージが大きい。病気の母親に滋養を付けさせる為に、悪天候の中無理をして漁に出た親孝行な若者の舟が波に飲まれ沈没し溺れた時に、海神の使いである黄金色のサメが現れ、背鰭に若者を捕まらせて無事に村まで送り届けたと云う昔話も残っている。 漁業陸揚げ漁港
古代サメ古生代デボン紀頃より化石が出るが、大部分は歯の化石である。骨格が軟骨性なので、全身の化石が出る事は極めてまれである。従って、復元は想像に頼る点が大きい。カルカロドン・メガロドン(ムカシオオホオジロザメ)などの巨大な歯は天狗の爪と呼ばれる。
関連作品
鮫を含む語句
英語圏ではあたり構わず物事を遂行する行為や、その時得ることが出来る全ての利益を総取りする行為を「シャーキング(Sharking)」と呼ぶ。派生語も存在し、悪徳な高利貸しや闇金融を指すローン・シャーキング(loan-sharking)が有名。また街角で見知らぬ人物に対して突然殴りかかる、着ている服を脱がせるなどの行為を撮影したビデオはシャーキング・ビデオ(Sharking-video)と呼ばれ、それの愛好者による専門サイトも存在する。勿論これらの行動は暴行罪などの罪に問われる可能性が高いのだが、近年模倣行為が頻発していることからイギリスなどで社会問題化している。 脚注
関連項目外部リンク |
This article is from Wikipedia. All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.