千坂景親

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千坂 景親(ちざか(ちさか) かげちか、天文5年(1536年) - 慶長11年(1606年))は、戦国時代安土桃山時代江戸時代初期の越後国の人物。千坂景長の子で、上杉氏の重臣。対馬守。子に千坂長朝千坂高信らがいる。

千坂氏は上杉氏の四家老の一つで、上杉謙信が上杉の名跡を継いだ時、千坂景親が上杉謙信の重臣となった。

景親は蒲原郡を領し、謙信の家臣の中にあっては、謙信を本営にて警固する、いわば親衛隊的な立場にあり、そのため謙信の本営が敵襲により危機に陥らないかぎり、景親には出動の機会はなく、それが謙信の他の重臣と比して千坂景親の名前が上杉謙信の合戦記になかなか登場しない理由でもある。謙信の没後は、上杉景勝に仕える。

1598年に、会津大沼郡5500石を受領。関ヶ原の合戦後には徳川家との折衝役を務める。1603年米沢藩の初代江戸家老となる。1606年、71歳で死去。

江戸時代中期の元禄赤穂事件忠臣蔵)の際に父吉良義央の援軍として出兵しようとした藩主上杉綱憲を押しとどめたという上杉家江戸家老千坂高房(千坂兵部)は、景親の玄孫に当たる。(ただし実際には千坂高房はすでにこの頃死去していた。詳しくは高房の項目を参照)

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