古武術

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古武道(こぶどう)とは、日本の伝統的な武術の総称である。「武術」あるいは中国風に「武芸」(武藝)と呼ばれ、江戸時代後期には「武道」とも呼ばれるようになった。大正時代より、明治以降に成立したものも含め「武道」とという名称が用いられた。現在では現代武道と区別して古武道と呼ばれる。

現代武道が技の錬磨以上に人間形成と体育的見地からの身体の鍛錬を目的とするのに対し、古武道は、危険であることから現代武道から除かれた技法や付随する内容(活法、薬方、呪術など)が残っている場合がある(ただし、古武道においても、密教儒学と結びついた精神修養は行われており、精神修養などの人間形成も重視する理念はある)。反面、流派を伝承する者にも意味が伝わっていない動作や非合理的な内容、江戸時代に形の美観のため加えられた(華法化)動作が含まれる場合もある。

目次

名称

大正3年、警視総監西久保弘道は、警察訓練所での講話『武道講話』(警察協会北海道支部 1915年)において武術の名称を「術」でなく「道」でならないとした。理由は、「術」という名は、技術の上達のみに終始し、「礼儀」は無用と考えることになるのでよくない。「武」は技術でないとい観念を明確にするためという。 大正8年1月29日、西久保は、大日本武徳会の副会長と武術専門学校長になり名、称変更を主張、同年5月15日、常議員会で武術専門学校を武道専門学校に変更承認、同年8月1日、文部省認可。これ以後、武徳会各支部で「武道」を用いることとされた。

その背景について、福島大学教授の中村民雄や筑波大学名誉教授の渡辺一郎らの研究によると、武術興行などを行い堕落した(とみなされた)武術と区別するために、教育的に有用な真剣な修行という意味で「武道」という名称を用いたのであるという。[1]

大日本帝国のポツダム宣言受諾による占領で、連合国軍最高司令官総司令部による武道禁止後に復活した現代武道との区別のために古武道とよばれる。後に古流武術とも呼ばれ、近年では古武術という呼び方も使われるようになった。

なお居合道杖道では全日本剣道連盟居合の制定居合形、全日本剣道連盟杖道の制定杖道形、に対し流派の形を古流とも呼ぶ。

  1. ^ 『史料近代剣道史』島津書房

歴史

日本の古武道の中に中国武術の要素を指摘する研究もあるが、その影響は一部であり、基本的には国内の風土・時代状況の中ではぐくまれたものとするのが一般的な見解である。

古代

弥生時代倭国大乱などの戦乱の時代に埴輪などの出土品や『古事記』、『日本書紀』など日本神話に剣など武器があるため、なんらかの武術は存在していたものと思われるが、詳細は不明である。 『日本書紀』に捔力で相手を殺したとの記述があることからこの時代の捔力(相撲とされる)が武術であったという説もある。これは蹴り技など用いていたと推測され、現代の大相撲・新相撲などとは異なるものである。 『日本書紀』の天智天皇紀には、7年秋7月「于時近江國講武」すなわち近江国で武を講じたとある。

鎌倉時代

武士の道は弓馬の道とされ弓術馬術が武士の必須の武芸で流鏑馬などが盛んに行われた。また、曾我兄弟の仇討ちで有名な『曽我物語』などにもそれまでの相撲(現代の相撲)と異なる武芸としての相撲が武士により行われたことが記述されている。この武芸相撲は後に廃れ後の江戸時代初期の関口流柔術の伝書などに伺えるのみである。

室町・戦国時代

いわゆる兵法三大源流陰流神道流念流)が興った。そこから新陰流新当流一刀流中条流等が派生して一挙に剣の道が広まった。武術は能や歌のように芸とみなされ理論の確立や深化が進められた。武術を専一に行う兵法者(ひょうほうしゃ)の道を歩む者たちが現れ、彼らのなかには自流を上覧に供したものもいた。

江戸時代

古武道の様々な流派は、戦国時代において形成されたものではなく、むしろ江戸に発展した。幕藩体制のなかで各藩は指南役を設けたり、特定の流儀を御留流として保護するなどした。長く続いた平和によって経済が発達し、町人文化が興るなかで武術は余暇の楽しみとしても広く行われた。流派の数は幕末までに数百(あるいは千)を越えたと思われるが、明白な資料は存在しない。 一子相伝とされるような小さな流派では、大々的に道場を構えたりせず一族だけで伝承されてきているため、時代状況の移り変わりの中で、次の世代に継ぐべき人間がいなければ容易に途絶えてしまう。流儀を宣伝することがないので、極端な例では親族の葬儀に参列してはじめて「なにやら一族の武術があって、亡くなった人はその継承者だった」ことを知るなどの事例も聞かれる。

明治維新

明治維新後、武士の身分が廃止され、いわゆる文明開化の中で武術は時代遅れと断ぜられ一時期衰退しようとした。武術家たちは見世物の撃剣興行等の見世物、興行を行い武術を振興しようとした。後に西南戦争等の影響により、警視庁に剣術、柔術等の武芸が採用され、維新後の危機は脱せられた。

武道への名称変更

嘉納治五郎が新しく柔道を創設したことなどや日清戦争後に武士道が再輸入されもてはやされるなど社会情勢から大日本武徳会大日本帝国の精神修養として明治末から大正にかけて武術の「術」を「道」と替え武道と名称変更した。

現代武道の誕生

第二次世界大戦敗戦直後、沢山の流派において継承者が戦死するなどの原因から失伝(伝承が途絶え、失われること)したという。また、連合国軍最高司令官総司令部による武道の禁止以降、戦闘技法であることをやめて精神修養のみを目的とする現代武道が発祥・隆盛した。

現状

現在も続く各種武術は、頑なに古式の形態を守っており、中には現代武道になってしまったところもあるが、現代においても様々な形で受け継がれている。


武芸十八般

武芸十八般とは、中国から伝わった言葉で、武士が修得すべき18種類の武器・武術の総称である。この18の武技の内容は時代・流派により異なっているため簡単には言えないが、概ね以下にあるようなものが挙げられる。

家元

伝授段階(流派によって違う)

伝承方法

その他

参考文献

  • 『古武道の本―秘伝の奥義を極めた達人たちの神技』 ISBN 4056027676
  • 『(別冊歴史読本) 日本伝承武芸流派読本』 ISBN 4404023405
  • 綿谷雪 & 山田忠史編 『(増補大改訂) 武芸流派大事典』 東京コピイ出版部、1978。
  • 『日本古武道総覧』 日本古武道協会編集 平成九年版 島津書房 

関連項目

武術研究家

外部リンク

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