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地政学(ちせいがく、英:Geopolitics、独:Geopolitik)とは、地理的な位置関係が政治、国際関係に与える影響を研究する学問である。時として地政学は英語読みの「ジオポリティクス」(geopolitics)やドイツ語読みの「ゲオポリティク」(Geopolitik)とカタカナ語として表現されることもある。
概要地政学とは地理的な環境が国家に与える政治的、軍事的、経済的な影響を巨視的な視点で研究するものである。イギリス、ドイツ、アメリカ合衆国等で国家戦略に科学的根拠と正当性を与えることを目的とした。「地政学的」のように言葉として政治談議の中で聞かれることがある。 歴史学、政治学、地理学、経済学、軍事学、文化学、宗教学、哲学、などの様々な見地から研究を行う為、広範にわたる知識が不可欠となる。また政治地理学とも関係がある。 学派政治的景観学派政治的景観学派とはある国家の現状に注目し、対象地域の位置・面積・形状・政経中枢、対象地域の内的要素として人種・言語・宗教・政治団体分布、国境の種類・形状・防御、対象地域の外的要素として国際機関・植民地などを研究する。個別的な国家の地政学的な状況を把握する手法であると言える。 政治的生態学派政治的生態学派とはある政治的集団の地理的環境への適応に注目し、集団の発生・成長・特徴、居住地域の環境、集団が自給するための経済、地域を統治するシステム、国境の調整、外的要素として国際機構・安全保障戦略・外交関係の調整などを研究する。その国家の国力を把握しようとする手法であり、厳密には政治地理学の側面が強い。 組織学派組織学派は国家を国民の集団以上の組織体であると考え、それは常にエネルギーを摂取して生存し、その発展にもエネルギーを摂取し続けなければならない。そのために「生存圏」が確保されなければならず、またパンリージョンも発展には要するので国家の膨張が必要だと考えられる。 国土の位置・面積・形状・資源、国民の民族・人口・文化・経済や政府の性質、地域と政治の関係として首都・政経中枢・領土・国境、国民と地域の関係として人口ピラミッド・国家戦略・国家計画などを研究する。 海洋国家系・大陸国家系海洋国家系地政学とは主に米英で発展した地政学の学派である。海洋と関係性が深い国家で興った地政学であるので、国内の団結を強め、海軍力を以って制海権を獲得し、海上交通路を維持拡大し、国内経済の成長を推進することを原則的な方針とする比較的に共存を容認する立場にある。大陸国家系地政学とは主にドイツで発展した地政学の学派であり、海洋国家とは異なり隣国と陸続きに接触しているために安全性の維持が困難であり、膨張を志向するため、比較的に統合を志向する立場にある。 大陸国家系地政学は組織学派の影響が大きく、海洋国家系地政学との差異を生んでいる。 歴史地政学、すなわち地理と政治や軍事との関係性についての研究は、すでに古代ギリシアの時代、ヘロドトスの『歴史』にその起源が読み取れる。彼は民族の命運が地理的な環境と深く関係していることをペルシア戦争の研究から述べている。 大陸系地政学の歴史より「政治地理学」という名称を用い、体系的に政治と地理の関係について論じたのは18世紀のドイツの哲学者カントであると考えられている。この研究はドイツの経済学者リストやドイツの歴史学者トライチュケ、ドイツの地理学者フンボルト、リッターたちを経て地理学者フリードリヒ・ラッツェルによって引き継がれ、スウェーデンの政治学者ルドルフ・チェレン(Rudolf Kjellen)がさらに体系化を加えて「地政学」との名称を与え、20世紀のドイツの陸軍将校であったカール・ハウスホーファーによって国家は国力に相応の資源を得るための生存圏(レーベンスラウム)を必要とするという大陸国家系の地政学の説を唱えた。 ドイツにおいてこういった理論が集中的に発展した背景についてはドイツがヨーロッパの中央部に位置し、しばしば外国との戦争によって国土を破壊され、国家の発展がしばしば頓挫した歴史が関係していると考えられる[要出典]。 英米系地政学の歴史ドイツの地政学の系譜とは別に英国や米国で発展した英米系地政学(海洋国家系地政学)の系譜が存在しており、イギリスやアメリカが中心となって発展してきた。19世紀の米国海軍将校であったアルフレッド・セイヤー・マハンはシーパワー理論を打ちたて、イギリス地理学者のハルフォード・マッキンダーは、ユーラシア大陸の中央部(ハートランド)を制するものが世界を制すると主張して、イギリスの立場からロシアへの対抗を説くランドパワーの理論を構築した。 後に20世紀のアメリカの政治学者であるニコラス・スパイクマンは、ランドパワーとシーパワーの対立構造をすべての戦争に当てはめることは乱暴な単純化であると批判し、大陸縁辺部(リムランド)を定義した。 大陸系地政学(近代の地政学)アドルフ・ヒトラーが率いたナチス・ドイツと大日本帝国の帝国主義的な拡張政策に一定の影響を与えたと考えられている。事実、ハウスホーファーの副官であったルドルフ・ヘスがナチス党に入党しており、『わが闘争』の口述筆記を行い、後にナチスの副総統となっており、『わが闘争』にもハウスホーファーの理論がある程度影響していると考えられている。 また日本においても昭和初期にドイツとの地理的な類似性からドイツ地政学の影響を大きく受けており、小牧実繋が『日本地政学宣言』を著し、「大東亜共栄圏」の概念を形成し、また岩田孝三の『国防地政学』においてもその地政学理論を日本の拡張政策に結びつけるべきであるとの記述が見られる。 地政学の理論が当時の政策立案に決定的な影響を与えたことを立証することはできないが、このような地政学の姿勢というものは、日本では軍国主義の理論として差別的に排斥された。特に国際関係を地理的要因、軍事的要因のみで分析する地政学的アプローチは、経済、通商、投資関係が国際関係を説明する極めて重要な要素であることを全く無視していることをからして致命的欠陥がある。 また、確かに国家は現在でも国際関係における基本的アクターではあるが、20世紀後半以降、国際機関や大規模多国籍企業を始めとして、NPOなど国際関係におけるアクターの多様化が顕著になっていったにもかかわらず、そのような変化に対応できなかった。しかも国家内部においても利害関係は多様であり、政策決定は重層的かつ多様なものとなる。そしてかかる意思決定過程が国際関係に影響を及ぼすにもかかわらず「一枚岩の国家」というありもしない前提を元に議論を構築しているという欠陥がある。 このように地政学的分析が世界情勢を分析するのに有効性を失っていったことが地政学が戦後、等閑視される最大の要因となった。このように地政学は疑似科学として学者から(防衛研究所内部の研究者を含む)伝統的に無視、軽視されることとなった。 英米系・海洋国家地政学(現代の地政学)大戦に勝利したアメリカにおいてはマハンの理論は勝者として賞賛され、またスパイクマンの地政学の研究は現代の地政学の発展の礎となった[要出典]。1944年ではピーティ教授は北極圏を中心とした半島環状地帯、島嶼内側環状地帯、島嶼外側環状地帯に分類しようとした。また1973年にはサウル・コーヘンが特定地域に地戦略的な同質性は存在しないとし、世界を海洋世界と大陸世界と破砕帯に大別して呼称した。 1988年に国立政策研究所のグレイ所長は東欧と中東がソ連の防壁または米国の前進基地の二面性があり、これは地戦略的な見地によると考えた。そして冷戦期における欧州での米国の脅威は領土を巡る紛争ではなくソ連の軍事力が西側諸国へ与える間接的な影響であると論じた。また核兵器の時代になると従来のランドパワー至上主義、シーパワー至上主義に加えて、新しくエアパワー至上主義が登場することにもなった。 日本では戦後地政学がタブー視されていたため、また研究の歴史も浅いために、研究の成果は限定的であるが、小牧門下の足利健亮、藤岡謙二郎、神尾明正(かんお・あきまさ)らが、小牧地政学の学統を歴史地理学や先史地理学として発展継承し、地理学と歴史学、考古学の境界領域的な研究で業績をあげた。 ラッツェルの理論フリードリッヒ・ラッツェルはドイツの政治地理学者である。ビスマルク時代における植民地獲得の外交政策の理論的根拠として用いられた。ラッツェルは国家を単なる国民の集合ではなく国土と国民から形成される生命体として考え、国力はその国土面積に依存し、国境は内部同一性の境界線であり、同時に国家の成長に従って流動的に国境が変化するなどの前提を打ち立てて以下のような法則性を導いた。
チェレンの理論ルドルフ・チェレンはスウェーデンのウプサラ大学での政治学者、歴史学者であり、また地理学者でもあった。ラッツェルの理論を継承し、国家は高度な生命組織体であり、それは国土に依存していると考え、その理論をさらに発展させ、大陸国家系地政学の発展をもたらした。そして以下のような新しい理論を展開した。
ハウスホーファーの生存圏理論ドイツ陸軍将校であり、第一次世界大戦では旅団長として従軍し、後にミュンヘン大学の地理学と軍事学の学部長となったカール・ハウスホーファーはラッツェルらの従来の大陸国家系地政学の研究を踏まえて自給自足を重視する観点から、生存圏の理論を論じた。従来の地政学とは異なる点を以下に述べる。
ハウスホーファーの生存圏の理論は国家が発展するためには小国の権益を武力で奪取することも厭わず、自給自足のためには重要な経済拠点を経済的に支配するという考え方を正当化するものであると現代においては批判される。しかし、こういった政策は彼の独善的な考えではなく、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約においては戦勝国によって行われたことであった。しかし、科学としては彼がドイツ民族を常に念頭において研究を行ったために客観性を欠くところもあると考えられている。 マハンのシーパワー理論米国海軍の将校であったアルフレッド・セイヤー・マハンは『海軍権力史論』などの多数の著作を残し、海洋戦略の観点からシーパワー理論を提唱した。その理論の要旨とは、以下の通りである。
マハンは海洋、すなわち海上交通路を制することの国益をカルタゴ、スペイン、イギリスなどの海洋国家の歴史から、また工業・商業の大規模化による重要性から非常に大きいものであると評価している。また大陸国家は隣接する国家との生存競争が常に存在するとの前提に立ち、故に海洋に進出するための費用が大陸国家には負担できないという考えを示している。 彼はアメリカがイギリスに匹敵する強国となるために、海軍力を増強し、海上交通路を確立する必要があると主張した。この考え方は米海軍の戦略に大きな影響を与え、米国はパナマ運河やハワイ、グアム、フィリピンなどを支配下にいれ、現代においても強大な海軍の海洋への展開によってアメリカの軍事的優位や海上交通路の確立に貢献している。 マッキンダーの理論サー・ハートフォード・マッキンダーは英国の地理学者であった。マッキンダーはマハンのシーパワー理論の対称となるランドパワー理論を提唱した。地上の七割は海であるが、人間生活の基盤は地上にあるのであるために広大な陸地を支配している勢力をランドパワーと考え、また世界の陸地の三分の二を占めているユーラシア大陸を「世界島」、また世界島の中央部でシーパワーの影響外にある地域を「ハートランド」と名づけ、ランドパワーの中心地はハートランドを基盤に世界島へ展開されると考えた。 またハートランドの外側に二重の半月型の地域をそれぞれ「内側のクレセント」と「クレセント」として分類し、内側のクレセントにおいてランドパワーとシーパワーが対決するという国際情勢の長期的な構図を論じた。これらの理論とまた当時の第一世界次大戦後という国際情勢からドイツという大陸国家のランドパワーのハートランドへの拡張を警戒し、「東欧を制するものはハートランドを制し、ハートランドを制するものは世界島を制し、世界島を制するものは世界を制す」と有名な言葉を第一次世界大戦後の講和会議に出席する英国の委員に対して述べた。 また第二次世界大戦においてマッキンダーは当時の国際情勢の変化に適応してハートランドの範囲を一部変更して北米大陸を含めた「拡大されたハートランド」とし、世界島の外部に米国という大きなパワーの出現を考慮し、世界島を制しようとする脅威は東欧ではなくハートランドから生じるものと考え直した。 スパイクマンのリムランド理論米国のイェール大学で政治学の教授であったニコラス・スパイクマンはランドパワー理論やハートランド理論を踏まえてリムランド(ユーラシアの沿海地帯)理論を提唱した。その理論を踏まえ、彼は米国の政策に以下の提案を行っている。
スパイクマンは現代(当時は第二次世界大戦中)の船舶技術において、アメリカをとりまく大西洋も太平洋も「防波堤ではなく、逆に高速道路である」と認識しており、現代の兵器技術においていかなる国のパワーも地球上のいかなる場所であれ「地理的距離とは無関係に投入できる」と見抜いており、アメリカの孤立主義(モンロー主義)の不毛と危険を警告し続けた。この提言を基にして大戦後のアメリカの国家戦略が実行されており、これからのアメリカの戦略、国際情勢を予測する上で大きなヒントとする専門家もいる。 地政学で使われる用語・概念
地政学に関する議論従来の近世から近代にかけて研究されてきた地政学は主にマキャベリの現実主義的な国際関係観に立ったものであり、国際協調主義が一般化している現代においては、主観性や前時代的な性質、イデオロギー性が現れている。大陸国家系地政学(ハウスホーファーやチェレン、ラッツェルなどの地政学)は、国家の自給自足の重視し、国際関係は常に生存競争の状態にあると考え、国家を一個の生命体とみなして発展し続ける必要性があると定義し、そのためには拡張政策をも正当化する。 故にナチスにより政策の理論的支柱として利用されたとの批判が強い。また地政学に対する立場が政治的な立場が強く影響するためにその客観性には常に疑問が持たれるとの根本的な懐疑もある。 しかしドイツで生まれた大陸国家系地政の発展の過程にもドイツの歴史的背景が深く関わっている。ドイツ国土を破壊した三十年戦争、北方戦争といったドイツ国土を蹂躙した戦争の歴史、また三度にわたる分割による隣国ポーランド王国滅亡の悲劇、ナポレオン戦争の勃発など、ドイツの陸上の国境線が長く、欧州列強と隣接しており、外国軍による国土の破壊を何度も経験してきた歴史がドイツの地政学の発展をもたらし、大陸国家系地政学を排他的、拡張主義的な性格を持つように育てていったことは注目すべき点であり、第二次世界大戦の侵略正当化の道具として構築された理論としてのみ見ることは側面的な視点である。 また実証性が薄く、非常に観察者の主観性が強いことを批判されることもあるが、実証性の薄さは社会科学全般にいえる話であるため、地政学のみへの批判として持ち出すことには無理がある[要出典]。また地政学という学問がその基礎的な理論が確立され、長期間にわたる総合的な研究がまだ行われていない未熟な学問であることも注目すべき点である。また地政学が体系化される以前から地理的な条件と政治の関係性がある程度認められることは古代から近代にかけての歴史的な事実である。 人間の営みと地理との間に深い関係性が存在することは否定しがたい事実であり、世界各地には生存適地と資源地域が局地的・不平等に存在しており、それに関連して人口密度も国家発展の度合いも一律ではない。人間の適応能力は限定的であるため地域の特性は人間の行動への影響には一定の法則性が存在することは歴史を見ても明らかである。近年は人口増が急速に地球規模で進み、各国の経済発展によるエネルギー需要が増加し、また国際関係は様々な問題に直面しつつある。これらの事実はこの分野における研究の必要性を示していると考えられる[要出典]。 政治地理学との関係人文地理学の一分野である政治地理学(political geography)との関係はとても深く、取り扱うテーマも20世紀前半まではほぼ同一視されていた。現代においても地政学と政治地理学とを厳密に区別する人と、曖昧に扱う人がいる。 しかし、歴史の項でも見るとおり、政治地理学はイデオロギー的な内容でタブーに近いものとして戦後は日本やドイツ、などの敗戦国で軽視され続けたが、戦後は地理学者らが中心となって地道な努力により政党などの政治集団や自治行政といった政治色の無い分野の計量的な分析を取り入れたり、社会や経済などの概念も取り入れたりし、地政学からは距離を置いて独自の道を歩もうとする傾向がある。 しかし、マクロな視点では地政学とは不可分な関係でもある。政治地理学は現在では再び人文地理学の重要な一分野として認知されているが、地政学と政治地理学との明確な境界線を引く事は難しいのが現状である。 関連項目
参考文献
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