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日本の経済(にほんのけいざい、Economy of Japan)は2007年において名目GDP換算でアメリカ合衆国に次いで2番目に大きく[2]、PPP換算ではアメリカ合衆国、中華人民共和国に次いで3番目に大きい[2]。
概要歴史戦前までは日本の経済史を参照 第二次世界大戦により国土は焼け野原となったが、GHQの占領期間中に、農地改革・財閥解体・労働三法の成立・独占禁止法の制定といった経済の民主化やシャウプ勧告、ドッジ・ライン等の経済政策を進め、朝鮮戦争を契機に経済復興を遂げた(特需景気)。1950年代は三種の神器に代表される民間消費が経済成長を牽引し、民間消費の拡大に対応する為に投資も拡大したが、当時は設備を海外からの輸入に依存していたことから、投資が拡大すると輸入が拡大することとなり、その結果、国際収支の天井により好景気と不景気を繰り返していた(神武景気→なべ底不況→岩戸景気)[14]。 1960年夏、池田勇人が内閣総理大臣に就任し、所得倍増計画を提唱、1964年の東京オリンピックを開催するための有形固定資産の投資の拡大(名神高速道路・東名高速道路の開通、東海道新幹線の開通)が景気を下支えした(オリンピック景気)。1965年の東京オリンピックの反動における昭和40年不況を経て、佐藤栄作首相の時代には3Cに代表される耐久消費財の普及、それに見合った設備投資の拡大、海外の好景気もあり、当時戦後最長の好景気が続き(いざなぎ景気)高度経済成長を遂げた[15][16]。一方、公害による環境破壊が深刻化し、1967年には公害対策基本法が制定され、次いで1970年には環境庁が設置された。また、若年労働者が都市に学業や就業のために移動することが原因となって東京一極集中による地方の過疎化が進んだ。 1970年代は大阪万博で好調に始まったものの、1970年7月にはいざなぎ景気は終焉を迎えた[17]。1971年8月の変動相場制度への移行、1972年6月に田中角栄が発表した日本列島改造論による国土の均衡成長を図ったことが、過剰流動性・開発の思惑などから土地の値段を上昇させたこと、並びに1973年10月の第4次中東戦争を発端としたオイルショックにより狂乱物価が勃発した。総需要抑制政策から1974年にはマイナスの実質経済成長率(-1.2%)となり低成長の時代を迎えた[15]。 また、税収不足から1975年度から赤字国債が発行されるようになり、この年から恒常的な財政赤字が始まった。 1980年代には自動車・家電産業を中心に欧米への輸出を伸ばし、貿易摩擦が激化したが、1985年のプラザ合意より一転、円高不況となった。円高不況克服のために、低金利政策を採用したことにより過剰流動性が発生し、信用創造が膨らんで不動産、株価が上昇してバブル景気となり、世界第2位の経済大国となった。また、中曽根康弘内閣は日本電信電話公社、日本専売公社、国鉄の三公社の民営化を行い、次いで竹下登内閣は1989年4月より消費税を新設した。 バブル崩壊以降の1990年代中盤には、国内の政治体制の混乱も相まって、多くの企業は冷戦終了後のグローバル経済体制の流れに乗れず、旧来の経営に固執していた。特に金融機関はBIS規制、金融ビッグバン対策、新たに導入される時価会計制度から不良債権の処理が急務となり、融資の引上げが相次いだ。このため中小零細企業だけでなく大企業の倒産も相次ぎ、経済停滞が長引いた。民間企業は過剰な設備・雇用・負債を抱え込み[18]、経済は停滞(実質経済成長率は1990年~2000年の10年間で平均1.5%)[16]し、1997年には日産生命、山一証券、北海道拓殖銀行、翌1998年には日本長期信用銀行、日本債券信用銀行といった金融機関の破綻が相次ぎ、大手金融機関同士の合併・統合が進んだ。この年代は「失われた10年」と呼ばれるようになった。1990年代後半にはデフレーションが発生し、その克服が重要な経済課題となった。 2000年代に入り、公的資金を注入したことによる金融機関の不良債権処理が進み、民間企業の過剰な設備・雇用・負債が解消された。BRICs諸国が台頭し、貿易相手国の第一位は米国から中国に代わった。それらの経済発展に伴って伸びた外需に牽引されて、日本はデフレ脱却、景気の回復を果たし、大企業の業績は大幅に伸びた。労働者にはこの好景気の分配はなく、労働者の給与は減少傾向をたどった。旧来の労使関係は見直され、終身雇用制度は崩壊し、契約社員、派遣社員などの労働市場の流動化が進んだ。労働環境の悪化と雇用不安から出生率は落ち込み、少子化と高齢化により2005年から日本は人口減少を始めた。国内需要を見限った企業は海外市場に活路を求めざるを得なくなり、製造業は外需偏重となり、海外市場の動向に日本の景気が顕著に左右されるようになった。2008年夏頃よりアメリカ合衆国のサブプライムローンに端を発した世界金融危機により、戦後最長といわれた「いざなみ景気」は終焉を迎えた。 20世紀末には国内総生産額は世界第2位(市場為替レート(MER)換算ベース)となり、経済大国と言われるまでになった日本経済だが、近年の経済的不調により「もはや日本は、経済は一流と呼ばれるような状況ではなくなってしまいました」[19]という認識も見られる。 天然資源
北海道・昭和炭鉱
日本は国土面積が小さいことから地下資源の賦存量は総量で見れば少ない。しかし単位面積あたりの賦存量は大きく、品種の面では多種多様な地下資源を産出し、資源の博物館とも呼ばれている。セメント原料の石灰石、ガラスや建築材料の原料となる珪石は豊富であり、盛んに採掘されている。かつては金・銀・銅、石炭、硫黄を大量に産出していた。歴史的には、戦国期に戦国大名らが金銀の増産に励んだため、世界の金銀の流通量のかなりの割合を日本産が占めたこともあった。現在は、石炭については埋蔵量は多いものの、良質の石炭が少ないこともあり採掘は行われていない。金・銀は菱刈鉱山などで非常に良質な鉱石が産出するが、採掘コストがかさむため採掘量は少ない。日本海沿岸では石油・天然ガスを産出する。天然ガスは房総半島でも産出される。しかし産出量はいずれも少なく国内需要を満たすことはできない。最近では、日本近海に金、銀、石油、メタンハイドレートが大量に埋蔵されている事が確認されたが、コストや技術的な問題で採掘できていないものや、調査中のものがほとんどである。 木材資源は、森林面積が広く降水量も多いため比較的豊富である。かつては木材生産が盛んであり、高度経済成長期までに天然林の多くが伐採され、その後植えられた人工林が森林面積の大半を占める。林産物の自由化が進むにつれて、工業化の進展や海外産木材とのコスト競争の結果比較劣位となり、日本の林業はほぼ壊滅状態になった。放棄された人工林は荒廃しつつあり、保水力の低下など国土保全上の問題が懸念されている。 水産資源の面では、基本的に恵まれている。近海は豊かな漁場となっており世界有数の漁獲高だが、近年漁獲高は縮小傾向にある。日本近海では韓国・中国・台湾・ロシアなどの漁船が操業を行っており、日本の漁船と摩擦が起こっている。 水資源は、温暖湿潤気候のため降雨が多い上に、山林の保水力が高いため、良質な軟水が豊富に入手可能である。飲料水はもとより工業用水としての質も高い。 産業国内市場が大きいため第三次産業が発達している。製造業も強く、加工貿易が盛ん。特に工業技術は世界最高水準であり、多くの分野において、他の先進諸国や発展途上国にとって規範となり、また脅威ともなっている。中でも自動車、エレクトロニクス、造船、鉄鋼、素材関連の産業は大戦後大きく成長し、世界的企業を多数擁する。 技術貿易での技術依存度は、輸入超過から輸出超過へと長期傾向的に変化している。工業用ロボットなどの付加価値の高い、独自の技術をひねり出すケースも各所で見受けられる。例えば、日本は工業用ロボットについて世界のロボット生産量の7割を生産している。また世界で使われている工業用ロボットの6割は日本で活動している。日本の工業界は非常にロボット化され、効率が良い産業と言える。また、家庭用ロボットという概念も日本から発信されたものである。 貿易等主な貿易相手国はアメリカ合衆国、東アジア、東南アジア、欧州連合(EU)、サウジアラビアなどである。特に最近は中華人民共和国(中国)などのアジアとの貿易額が急増している。貿易収支は黒字で、1990年以降をみても毎年10兆円近く黒字となっている。 主な輸出入品目は、上述したとおり資源が乏しく加工貿易が盛んなため、輸入は石油、鉄鉱石、半製品や食料品。 輸出は自動車、電気製品、電子機器、工作機械や産業用ロボットなど。 また、継続的な経常黒字により世界最大の債権国となっており、世界経済からの配当や利子の受け取りが次第に増大している。 金融日本の通貨である円は、アメリカ合衆国のドル、欧州連合のユーロと共に国際通貨の一角を占めている。経済規模の大きさにもかかわらず円の国際化は進んでおらず、世界における準備通貨比率で円は第四位(3.2% 2006年)である。これは外貨準備の運用先となるべき日本国債が国内に偏在していることや長期にわたる低金利の状況と表裏一体の現象である。 日本の商慣行では間接金融による資金調達を広く用いており、銀行の活動が経済に与える影響は大きい。また、銀行は融資の際に不動産(土地・建物)を担保に取ることが多いため、地価変動が経済に与える影響も大きい。 だが、バブル景気崩壊後は直接金融への転換が進められ、担保も多様化してきている。一方で金融機関の審査能力については、特に地方銀行で十分でないとの指摘もある[20]。 近年、株式取引(特に個人投資家による取引と投資)、直接金融が活発化しているが、規制撤廃・金融開放の進んだアメリカやイギリスに比べると、未だ金融資産に占める株式等のリスク商品の比率は低い。その一因としてバブル崩壊後の株式投資が決定的に収益を上げにくい投資であったこと、デフレにより低い名目金利でも実質金利は高かったこと、失業の危険や所得の伸びの鈍化から流動性の高い現預金の需要が高まったこと、財形貯蓄などの強力な現預金貯蓄システムの存在、政府年金による強制貯蓄や国民の貯蓄型保険への嗜好、株式投資を博打と同一視する風潮などが考えられている。 各産業の概況製造業(貿易財)の強さが目立つ。サービス(非貿易財)は労働生産性が低いことが課題となっており、生産性の高い製造業での人員削減が進む一方、生産性の低いサービス業の雇用が増加していることにより、日本の産業の生産性は低下しているとされる。 ただし、サービスの生産性は必ずしも低くないという意見もある[21]。 第1次産業農業農業は戦後直後までは最も盛んな産業であった。1950年の国勢調査では第一次産業の就業者が全就業者の約5割を占めていた。高度経済成長期を通じて農業に従事する者は減少の一途をたどり、現在では全就業者の5%程度に過ぎない[22]。2007年2月現在、1,813千戸の販売農家がいるが、主業農家は387千戸(21.2%)にすぎず[23]、高度成長期以降、後継者不足が問題となり、現在農業は高齢者が主な担い手となっている[24]。 平野部が少ないことや主業農家率が低いことなどの理由から、販売農家における農家1戸当たりの経営耕地面積は北海道18.78ヘクタール・都府県1.32ヘクタール・全国1.79ヘクタール(2006年)と狭小である[25]。 江戸時代以前からの飢饉、大正時代の米騒動など米の不足が社会不安に直結することから、第二次世界大戦中に食糧管理制度が採用され、1994年に新食糧法が制定されるまで、米価・生産は国家の管理下にあった。国策として米の生産に力が入れられてきた。自給率も米だけはほぼ100%である[26]。 戦後の生産技術向上や食生活の多様化により米が余るようになり、高度成長期以降は減反政策に転じている。また、農産物輸入自由化の流れを受け、1980年代後半には、ウルグアイ・ラウンドの流れを受け、牛肉・オレンジの輸入が自由化、次いで1990年代から米も輸入されるようになった。 狭小の土地で付加価値を上げるために都市近郊では野菜や花卉(かき)、鶏卵といった近郊農業が行われている。農業分野においても、ブランド化により高付加価値の商品へ転化させる動きが見られる。このブランド化の努力の結果、日本の食料品は世界的なブランドとして輸出されるまでになった。 最近では農業への株式会社参入も認める議論が進んでおり、将来的には労働集約から資本集約型農業への脱皮が見込まれている。すでに建設業や食品加工業が農業に乗り出しており、一部ではプラント化も進んでいる。 近年は産業界からの強い圧力で、自由貿易協定を外国と結ぶ動きが盛んだが、関税が撤廃され安い農作物が輸入されるようになるとして農業界には反発が起きている。ちなみに日本のカロリーベースでの食料自給率は45%(2007年ベースでは39%)であり、長期的に低下する傾向にある。地産地消や安全保障を重視する立場の人は農業界の擁護に回っている。事態打開のために日本政府は、農業界に助成金投入や株式会社参入と言う形で競争力を得ようと考えている。一方、産地直送で消費者と生産者の直接的なつながりも模索されている。 主要農作物米の2007年の生産量は8,714千トン[26]であり、新潟県、北海道、秋田県、福島県、山形県、宮城県と続く。北海道・東北地方の生産量の合計は3,034千トンとなり日本における生産量の34.8%を占める[27]。 長年にわたる品種改良によりコシヒカリ、あきたこまち、ササニシキ、きらら397、はえぬき、ひとめぼれといった品種が開発され、熱帯地域の起源の米が寒冷地で生産できるようになった。 麦の2007年の生産量は、小麦、二条大麦、六条大麦、はだか麦の4麦合計で1,105千トンである[26]。小麦の生産は北海道が全体の63.9%の582千トンを生産し、以下、福岡県、佐賀県と続く。また、大麦の生産は佐賀県、栃木県、福岡県と続く[28]。食生活の洋風化に伴い小麦の需要量は国内の生産量を大幅に超過しており、小麦の自給率は13%程度[29]に過ぎず、ほとんどをアメリカ・カナダ・オーストラリアからの輸入に依存している[30]。 大豆は古くから、味噌、豆腐、納豆、醤油といった加工食品や大豆油の原料として使用されているが、国内の生産量は229.4千トン[26]にすぎず、国内の自給率は5%[29]にすぎない。トウモロコシは飼料用として利用されるが、ほぼ100%を海外からの輸入に依存している。 野菜は鮮度が重要なこともあり、食料自給率は低下はしたものの79%[29]にとどまる。都市近郊の愛知県や茨城県、千葉県、群馬県などでは近郊農業がおこなわれているほか、レタス、キャベツ、白菜などは長野県などで高原野菜として夏に収穫され、宮崎県や高知県など温暖な地方は、ビニールハウスを利用し冬にピーマンやきゅうりを生産している[31]。 果実の自給率は1960年の100%から2006年の39%にまで大きく低下しているが[26]、みかんの生産量が減少していることと連動している[31] 。果実は土地の気候、土壌などが左右されることもあり、各地域により生産されるものが大きく異なる。みかんの2006年の生産量は841.9千トンであり和歌山県、愛媛県、静岡県、九州地方といった温暖な地方で生産されている[32]。リンゴの2006年の生産量は831.8千トンであり、寒冷な土地での栽培が向いていることもあり、青森県や長野県で全体の4分の3を占める生産量を誇る[32]。 畜産業BSE問題、 鳥インフルエンザ、 2007年-2008年の世界食料価格危機、および 牛乳も参照
乳牛の代表品種、ホルスタイン
畜産業では、飼料となる穀物の価格が2007年頃から上昇している一方、製品の単価を上げにくいことがあり、畜産農家の経営を圧迫している。乳用牛の飼養頭数合計は1998年の1,860千頭から2007年の1,592千頭にまで減少し、飼養戸数は1998年の37,400戸から2007年の25,400戸にまで減少している。また、肉用牛の飼養頭数合計は1998年の2,848千頭から2007年の2,806千頭とほぼ横ばいで推移しているものの、飼養戸数は1998年の133,400戸から82,300戸にまで減少している。豚の飼養頭数合計は1998年の9,904千頭から2007年の9,759千頭に若干減少し、飼養戸数は13,400戸から7,550戸にまで減少している。採卵鶏の飼養羽数は1998年の182,664千羽から2007年の183,224千羽と増えているのに対し、飼養戸数は1998年の5,390戸から2007年の3,460戸にまで減少している[33]。飼養頭数(羽数)がほぼ横這いである一方、飼養戸数が減少していることから畜産農家は1戸当たりの生産量を増やし、コストダウンを図ることにより生き残りをかけている[34]。 牛肉は北海道、鹿児島県、宮崎県などで生産されているが[35]、国内の自給率は1990年代の輸入自由化により食肉生産量は2000年の約1,000千トンをピークに減少している[36]。また、BSE問題が発覚したことがあり、アメリカからの牛肉輸入量は輸入禁止前の220千トン(2002年)から再開後の34千トンにまで減少している[34]。乳用牛のほぼ半分が北海道で飼養されている[35]。生乳生産高は2000年の8,497千トン[37]から2007年の8,007千トン[38]にまで減少し、牛乳・乳製品の自給率は66%である[26]。 豚肉は鹿児島県、宮崎県といったシラス台地、茨城県、群馬県、千葉県といった大消費地の近郊などで生産され[35]、国内の自給率は52%である[26]。 鶏卵は製品の性質上割れやすいということもあり、自給率は95%[26]と高く、千葉県や茨城県、愛知県といった近郊で採卵鶏は飼養されている[35]。肉用若鶏は鹿児島県や宮崎県、次いで岩手県で主に生産されているが[35]、国内の自給率は69%[26]であり、不足分は輸入している。 林業日本は森林の生育に適した湿潤な気候であり、同時に人間の居住に適さない山地が多いため、山地や丘陵地帯はほぼ森林となっている。そのため国内の面積に占める森林の割合は約3分の2の2510万ヘクタール(25.1万平方キロメートル)と極めて高い[39]。林業は主力産業の一つであったが、第二次世界大戦後の燃料革命で薪炭利用が激減した。戦後復興により需要が拡大した住宅用建材向けの生産が活発になるが、1970年以降の外材の輸入自由化により競争力を喪失して長期に渡り低迷している。2000年頃には、木を植えてから伐採するまでの利回り計算がマイナスとなり、林道沿いなどの条件が良い場所や秋田杉などのブランド産地の木材でない限り採算が取れることはなくなり、山村や山林は荒廃しつつある。しかし、京都議定書(森林の循環利用は二酸化炭素削減要素の一つ)に代表される地球温暖化問題がらみ、諸外国の森林伐採規制の強化方向、中国の木材消費量増加に伴う需給状況の逼迫といった不確定要素があり、長期的には産業として復権する可能性も残されている。 水産業排他的経済水域、 漁獲可能量、 捕鯨、および ウナギ#輸入ウナギの安全性問題も参照 日本近海は暖流と寒流が交わり、魚の餌となるプランクトンが発生しやすい潮目が三陸海岸沖にあり、漁業資源に恵まれており、昔から漁業が盛んであった。しかし仕事の厳しさや、1970年代に各国が排他的経済水域を導入したことにより漁獲可能量が制限されたこと、オイルショックによる燃料代の高騰などにより、漁業経営は困難となり、海面漁業就業者が1953年の790千人から、2007年の204千人と減少の一途をたどった[40][41]。結果として、漁獲生産量は1984年の12,816千トン[42]をピークに2006年には5,652千トンと半減以下となった[43]。漁業種類別では漁業生産量の大半を占める沖合漁業が1984年の6,956千トンをピーク[42]に2006年には2,500千トンにまで減少し[43]、遠洋漁業が1973年の3,988千トン[42]をピークに2006年には518千トン[43]にまで減少、世界における漁獲量も1980年は10,048千トンで世界1位であったが2005年には4,179千トンで世界6位に後退している[44]。こうした傾向を補うものとして養殖技術の開発が盛んであり、技術上不可能とされたウナギやマグロを卵から育てることに成功するなど、世界的にも注目されている。養殖業は1983年に初めて1,000千トン以上の生産量を超えたが、その後は1994年の1,344千トンをピークにおおむね横ばいの状態が続いている[42]。2006年において100千トン以上、養殖されているものとして、海苔、ホタテ、牡蠣、ブリ類がある[45]。 1960年代から1970年代前半にかけて、日本人の貴重なタンパク源獲得の手段として遠洋捕鯨が大規模に行われ、1960年代から1970年代前半には年間平均20千頭以上の生産量をあげていた[42]が、オイルショックにより燃料代が高騰したことにより生産量は1987年には2790頭と激減した。また、1988年から日本も加盟している国際捕鯨委員会にて商業捕鯨の禁止が決議されたため、現在では沿岸小型捕鯨(イルカ漁)と調査捕鯨以外は行っておらず、1988年から2004年までの17年間の生産量合計は2,694頭にすぎない[42]。 水産業の衰退により、1984年に100%だった魚介類の自給率は2006年には51.6%にまで減少しており[46]、不足分を海外から輸入しているが、中国などの新興国が経済成長するに伴い消費が拡大し、魚介類の価格が上昇していることから「買い負け」が発生している[44]。日本が主に輸入している水産物は、2006年の魚介類(生鮮・冷凍)ではエビ、マグロ、鮭・鱒が上位に、魚介類(調製品)ではウナギ、カニ、エビと続く[47]。 第2次産業京浜工業地帯、 中京工業地帯、 阪神工業地帯、 北九州工業地帯、 京葉工業地域、 関東内陸工業地域、 東海工業地域、および 瀬戸内工業地域も参照 製造業は、教育や商社と並んで世界でも1、2を争う日本の根幹をなす産業部門であると言われている。諸外国と比較して、政府の関与が比較的少ないことが特徴である。石油や石炭、鉄鉱石などの原料を海外からの輸入に依存し、加工した製品を海外へ輸出するという加工貿易を行うため、太平洋ベルトを中心に海岸部に石油化学、鉄鋼のコンビナートが集中する。 戦前は阪神工業地帯が「東洋のマンチェスター」と呼ばれ繊維産業を牽引し、戦後になると京浜工業地帯が長らく工業製品出荷額の首位の座にあったが、1990年代以降、中京工業地帯の自動車産業が海外への自動車輸出を通して拡大し、中京工業地帯が2007年現在、工業製品出荷額の首位である[48]。かつて、4大工業地帯と言われた北九州工業地帯は1901年の八幡製鉄所操業開始以降、近隣の筑豊炭田、福岡県・山口県の石灰石、満州の鉄鉱石を原料に栄えていたが、敗戦により、中国大陸からの原料供給が断たれると、大消費地である東京や京阪神からの距離が遠いこともあり衰退した。 一時期は、輸出部門であるが故に低賃金の傾向があり、若年労働者の確保に困難をきたした。また、最近では生産拠点の海外進出により、国内の雇用は減少し空洞化の懸念がある。 鉱業日本の鉱業も参照 元々日本は火山活動が活発な地域であり、埋蔵されている鉱物資源の種類は豊富である。このため第二次世界大戦以前は鉱業は活発であった。しかし、戦後、鉱害などへの環境対策、労働者の安全対策に多額の生産コストを要するようになり衰退した。現在では、コストの安い露天掘りによる石英、石灰石、品位が高く国際競争力がある金、銀などが産出される程度であり、ごく少量の石油、天然ガスの採集が行なわれている。 建設業建設業は、戦後復興の中で建設ブームや各種プラントの建設、大規模インフラの整備などをうけて成長。資本蓄積に大きな役割を果たした。財政政策、地方への所得移転として公共事業が盛んに行なわれたため、1970年代以降は次第に官業色を強めた。バブル景気において、民間投資の興隆と保有不動産の含み益から規模拡大したが、1990年代においては再び公共事業への依存を強めると共に保有不動産の含み損に苦しみ、不動産・小売とともに構造不況と呼ばれた。この時点において、建設業が経済に占める割合は諸外国と比較して高く、過剰供給体制であった。2000年代に入ってから継続的な公共事業削減が続いたため業容は縮小し、民間建設が盛んな大都市、特に東京への一極集中が進んでいる。 製紙・パルプ製紙産業は典型的な装置産業であり、戦後の業界再編の結果、王子製紙、日本製紙を軸に大王製紙、レンゴー、三菱製紙の5社体制となっている[49]。 製紙産業は安い海外製品の流通増加や原油高騰の影響で再編の動きが強まっており、2006年の王子製紙による北越製紙買収の動き(ただし失敗)、大手製紙メーカーの提携などの動きが起きている。 化学石油化学製品の原料である原油の殆どを海外からの輸入に依存しているため、コンビナートは沿岸部(鹿島臨海工業地域・京葉工業地域・京浜工業地帯・中京工業地帯・阪神工業地帯・瀬戸内工業地域)に集中する。また、海外からの原油依存のため、汎用製品の国際競争力で劣る[50][51]。 製薬武田薬品工業が国内1位の売上高、次いでアステラス製薬、第一三共、エーザイと続く。「100億ドルクラブ」に入った国内首位の武田薬品工業でも2007年では世界17位[52]であり、世界首位のファイザーと大差をつけられている。 新薬が不足する一方、研究開発費が増大していることから世界的な業界再編が進行中である。中外製薬がスイスのロシュの傘下に入り、また武田薬品工業やエーザイは海外のバイオベンチャーを買収する一方、国内では山之内製薬と藤沢薬品工業が合併しアステラス製薬が、第一製薬と三共が合併し第一三共が設立された。他にも協和醗酵工業がキリンホールディングス傘下に入り、田辺製薬と三菱ウェルファーマが合併し田辺三菱製薬が設立された。 遺伝子・バイオ産業欧米に比べてバイオ産業は未発達の状態である。 しかし、食料関係のバイオ研究は進んでいる。特に稲に関しては世界で最も進んだ技術を持っている。 繊維繊維産業は、昭和前半までは製造業の中心であり、その陰には女工哀史などの状況もあったが、輸出産業の主力として日本の経済を支えた。戦後は、高度経済成長による工業の重工業化や、中国等新興国の安い繊維製品の輸入増加で製造業での地位は低下している。こうした状況の中でも日本の繊維産業は技術的には世界トップにあり、工業用の合成繊維や炭素繊維に強みを持っている。 鉄鋼・非鉄金属鉄鋼業粗鋼生産量は中華人民共和国に次ぐ第2位の生産を誇る。2007年の粗鋼生産量は新日本製鐵(国内首位、世界第2位、35.7百万トン)[53]、JFEホールディングス(国内2位、世界3位、34百万トン)[53]、住友金属工業(国内3位、世界20位、13.8百万トン)[53]が上位20位に入っている。 1990年代の平成不況、日産自動車のカルロス・ゴーンの資材調達見直しを契機に鉄鋼業界の再編が進み、新日本製鐵を軸に住友金属工業、神戸製鋼所が株式持合い関係に入る一方、川崎製鉄と日本鋼管が合併しJFEホールディングスが設立され、寡占が進んでいる。 2006年になり、インドのミッタル・スチールがルクセンブルクのアルセロールをTOBで統合し、アルセロール・ミッタル(世界首位、116.4百万トン)[53]が設立され、生産規模の面で大きく水をあけられるようになった。 土石・窯業ガラスガラスも参照 ガラス業界は寡占化が進む板ガラス業界とそれぞれのガラス製品の特性を生かした多数の中小企業に二極化される。 液晶テレビやプラズマテレビ、自動車や建物に使用される板ガラス業界は装置産業であり、また、世界最高水準の技術力を持つ。日本国内では旭硝子、日本板硝子、セントラル硝子の3社が国内の9割以上のシェアを持つ寡占状態にあり[54]日本国内でも7事業所しか存在しない[55]。日本の3社に、コーニング社など含めた7社が中国を除く世界市場の7〜8割を占める[55]。規模の経済が図れる装置産業であることから全世界的な業界再編が起きており、旭硝子は2002年にベルギーのグラバーベルを完全子会社化し、一方、2006年には日本板硝子はイギリスのピルキントンを買収、子会社化した[56]。 板ガラス製造以外の、板ガラス加工業、ガラス製加工素材製造業、ガラス繊維・同製品製造業はそれぞれ447、108、192の事業所があり[55]、理学用・医学用ガラスやガラス製容器、台所・食卓用品といった製品を生産している。 セメントセメント業界もガラス業界と同様に装置産業であるため、太平洋セメント、宇部三菱セメント、住友大阪セメントの3社による市場の寡占化が進んでいる[57]。1990年代からの公共事業削減の影響を受け、セメントの生産量は1996年の94,992千トンをピークに2007年では67,685千トンまで減少した[57][58][59]。 セメントの原料である石灰石は日本が自国内で供給できる資源であり、埼玉県の秩父地方や山口県の秋吉台などで生産されている。 電気・電子産業電気・電子製品は、自動車と並んで日本の貿易の中で大きな割合を占め、2007年では主要輸出品の約19.0%を占める[60]分野であり、その優れた品質から日本の代表的な工業製品となっている。1985年のプラザ合意による円高、人件費がアジアよりも割高であることも相俟って多くの電気・電子メーカーが海外に進出しており、日本の全産業の中でもっとも国際化が進んでいる分野である[61]。 軍用・産業用技術の民生品への応用や、省電力化、小型軽量化には定評がある[要出典]。従来はデザイン性や基礎技術の開発に難点があったが、最近では各社の努力により改善されつつある。 電気機械器具製造業(規模10億円以上)の営業利益率は1960年代の平均10%台から1990年代には平均3%台にまで低下、2001年度にはITバブル崩壊の煽りを受け-0.8%にまで一旦マイナスを記録したこともあり、長期的に低下傾向にある[62]。また、大手電器メーカー10社の合計営業利益率においても、1980年度から2005年度までの25年間で低下している。1980年前半及び円高不況後のバブル景気時代における合計営業利益率は6〜8%を計上していたが、その後はずるずる低下し、2001年度にはマイナスの営業利益率となった。その後、V字回復をしたが、2005年度でも合計営業利益率は3%台に過ぎず、ローム、キヤノン、日本IBM、サムスン電子、ノキアと大きく差をつけられた[63]。その要因の一つとしてIT経済の成熟化、製品ライフサイクルの短期化、新興国メーカーの台頭があげられている[要出典]。 白物家電三種の神器_(電化製品)および 白物家電も参照 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||