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松平 忠直(まつだいら ただなお)は江戸時代の大名。越前松平家宗家2代(慶長12年(1607年)- 元和9年(1623年))、越前国北ノ庄藩主。初代結城秀康の長男、母は側室の中川氏。
経歴慶長12年(1607年)に父の死に伴い越前75万石を10代で相続し、慶長16年(1611年)には2代将軍徳川秀忠の娘・勝姫を正室に迎える。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では越前の兵を率いて戦うが、兵力の損失が多く大御所の徳川家康から叱責される。翌年の夏の陣では豊臣側の将真田信繁(幸村)らの首を取り、大坂城へ真っ先に攻め入る[1]。が、この功績に対して領地の加増もされず、官位も従三位参議と低いままであった(父秀康は中納言)。これに不満を持ったとされる忠直は元和7年(1621年)には病を理由に江戸への参勤を行わず[2]、また翌元和8年(1622年)になると正室・勝姫を殺害しようとしたり(結局侍女が身代わりとなって殺された)、家臣の家に軍勢を差し向けて討つなどの乱行が目立ち始めるようになった。 元和9年(1623年)、将軍秀忠は忠直に隠居を命じた。隠居後の忠直は出家して一伯と名乗り、豊後国府内藩(いまの大分市)へ流され、1650年に死去、享年56。 脚注
官職位階履歴※日付=旧暦 関連項目関連文献
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