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海南市(かいなんし)は、和歌山県北部沿岸部に位置する市。紀州漆器の産地。海草郡南部に位置することから市制施行の1934年にこの名称がついた。 2005年4月1日に、海南市と下津町が合併して誕生し、新市名も海南市となった。本記事では必要に応じ合併前を旧・海南市、合併後を新・海南市として記す。 海南市は、1955年以来50年ぶりに合併した。だが、この合併は編入合併ではなく、新設合併として行われたため、現在では市章も2005年3月31日以前とは異なっている。新設合併として合併したのは海南市が誕生した1934年以来71年ぶりである。
地理
人口
歴史弥生式土器や古墳なども見られ古くから人間が生活した痕跡が伺える。熊野古道もあり、古くから都と白浜の湯治場の中継地として栄えていた。市南部の藤白山の麓では有間皇子が非業の死を遂げ、遺恨碑も建てられている。戦国時代には全国を制覇しようと目論む織田信長側とこれを阻む雑賀衆との合戦も行われた。江戸時代、紀州徳川家は黒江地区を紀州漆器の生産地として特別の保護を与え、大いに栄えた。
産業もとより工芸の町として知られ、黒江地区では紀州漆器が、内海地区では和傘が、日方地区では製塩が行われていた。1960年代に臨海工業基地が造られ、住友金属工業(和歌山製鉄所)、関西電力(海南火力発電所)、富士興産(石油精製業)などの重化学工業が進出する。一時期発展するがバブル崩壊以降は、リサーチラボなど先端情報産業の誘致に取り組み、重化学工業への依存体質からの脱却を図ろうとしている。黒江地区では漆器工芸を生かした観光にも取り組んでいる。東部地区は農業地帯で、イチゴ、桃、柑橘類などの果樹栽培が行われている。この他、和雑貨及び醸造が盛ん。特に棕櫚を用いたたわし製造から始まった日用雑貨品生産は、市の代表的な地場産業であり(後述)、醸造は黒江、内海、野上地区で行われている。 家庭日用品産業和歌山県海南市及び海草郡旧野上町(現紀美野町)一帯は、スポンジや洗濯ハンガーなど家庭日用品の一大産地である。これは原料となる良質の棕櫚が近くで採れたため、たわし、箒、縄などの棕櫚加工品の製造が盛んになった。その後、時代の変化と共に原材料はプラスチック、化学繊維製とシフトしていくが、今日でも炊事、洗濯、トイレ、風呂など水回り品におけるシェアは全国の8割強を占め、中小含め企業数は100近くに上る。一部は全国展開するほど大規模で、大都市に販路を持ち、全国のホームセンター、スーパーマーケットやドラッグストアなどに提供されている。近年は安価な輸入品に押されがちであったが、アイデア商品や高付加価値商品を開発することで、差別化戦略を図ってきており、新たな成果が見られている。 など また、上記に挙げる他、昔ながらの棕櫚束子、箒、ブラシを手作業で作っている職人もおり、一部は県の伝統工芸品となっている。 教育高等学校
中学校小学校
交通熊野古道に沿う形で、紀伊半島を一周する国道42号と紀勢本線(きのくに線)が縦貫している。 海南市街の道は走りやすいが、長峰山脈などではまだ離合困難な道がある。 鉄道JR以外にかつては和歌山市との間を連絡する路面電車南海和歌山軌道線、野上町との間を連絡する野上電鉄があったが、それぞれ1971年、1994年に廃止されてしまった。 道路高速道路国道県道
観光観光地
寺院
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