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細川 満之(ほそかわ みつゆき:? - 応永12年(1405年))は南北朝時代の武士で、幕府 三管領細川氏の一族。 父は細川頼春。兄弟に細川頼之、細川頼元、細川頼有ほか。子には細川頼重、細川満久(のちに阿波細川家細川義之の養子となる)など。 生年は享年から逆算すると1352年とも言われ、父の頼春は討死している。 明徳三年(1392)頃に、備中守護代として備中国に入部したらしい。1393年には備中守護となり、以後満之の家系が守護職を世襲したことで、後に備中守護家と称される。兄の頼之が管領に任じられて幕政に携わるようになると、頼有らとともに領国である四国の経営を任される。 細川勝久の時代には応仁の乱を迎え、やがて備中国内も守護権力の衰退がはじまることになる。 細川通薫(通重)は備中細川氏の末裔である。
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